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~新渡戸記念の~              『言葉の院外処方箋』 樋野興夫センター長


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「言葉の院外処方箋」

第341回
『人生は開いた扇』 〜 『邂逅の恵み』 〜


京都の祇園祭(7月1日~7月31日)の写真(画像)が京都在住で【『神谷美恵子』研究者、京都華頂大学非常勤講師、立命館大学大学院客員研究員】の田中真美先生から送られてきた。 【祇園祭は千年以上の歴史を持ち、1か月にわたって多彩な祭事が行われる日本を代表する祭り】とのことである。

筆者にとっては【京都は 懐かしい人生の忘れ得ぬ思い出での場である】。 筆者の故郷は、美しい日本海に面した小さな無医村の島根県出雲市大社町鵜峠(画像)である。 現在は人口は34名、空き家60%の小さな村である。 小学校、中学校は廃校になっている。 鵜峠から8キロほど、峠を越えた大社町に出雲大社(画像)がある。 高校時代は、出雲市での下宿生活であった。 大学受験に落ちて、京都の叔母(91歳でご逝去された)の家で浪人生活を送って予備校に通った。

筆者の読書遍歴は【内村鑑三(1861-1930)・新渡戸稲造(1862-1933)・南原繁(1889-1974)・矢内原忠雄(1893-1961)】である。 筆者は、【内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄】に直接逢ったことの無い世代である。 筆者が南原繁の名を初めて知ったのは19歳の京都での浪人時代、予備校の英語の先生(牧師)に出会ったことによる。 その先生は東大法学部の学生として南原繁から直接教わった人で、学徒出陣をし、南原総長時代に卒業した人である。 その先生から【南原繁の『歩き方』&『話し方』&『話の内容』に至るまで、人となりをよく聞かされ『学者の風貌』を覚えさせられた】ものである。

筆者は現在、『南原繁研究会の代表』を仰せつかっている。 若き日からの読書習慣が『内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄』の全集の読破の実践ともなった。 【『がん哲学外来』での対話の軸にしている『言葉の処方箋』は、『内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄』が残した言葉から獲得した】ものである。 『自分の思いを超えた不思議な人生邂逅の恵み』を痛感する。 【京都での浪人時代は、『もしかすると この時の為』を実感する日々である。】

まさに『人生は開いた扇の様である』(画像)

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