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~新渡戸記念の~              『言葉の院外処方箋』 樋野興夫センター長


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第53回「言葉の院外処方箋」
『「多磨霊園の旅」~ 内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄の墓〜』

今日(2021年4月18日)、『多磨霊園の旅』が企画された(画像)。「多摩霊園」には、内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造(1862-1933)、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)の墓もある。 所詮、我々には、「座布団一枚の墓場しから残らない」。「誕生から人生を見る」 vs 「死から人生を見る」の違いの学びである。 筆者は、病理学者として、むなしさから出発する。 自分を客観的に見る訓練である。 「車の運転席から 先を見るのではなく、空の上から見る視点」、「森を見て 木の皮まで見る実践」である。「なくてはならないものは多くない、無くていいものに縛られるな! 間違った方向に行くことに気をつけよ!」、つまり一言で言うと「ほっとけ 気にするな!」の心得である。 

2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』が発行された。 若き日の筆者に強い印象を与えた言葉は、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(boys be ambitious) である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が 「内村鑑三、新渡戸稲造」を生んだ。 その後、「南原繁、矢内原忠雄」にも繋がった。「東京医療利用組合新宿診療所」開設(1932)。1933年中野に移転し「東京医療利用組合中野組合病院」を開設。 2015年「新渡戸記念中野総合病院」に名称変更され、筆者が 順天堂大学医学部を定年退職(2019年3月)した年の4月に、「新渡戸稲造記念センター」が設立された。 新渡戸稲造が初代理事長(1932年)を務めた「新渡戸記念中野総合病院」では 読書(音読)会「新渡戸稲造 著『武士道』(矢内原忠雄 訳)が定期開催されている。 理事長、病院長、副院長、看護部長、職員が出席され、筆者も、新渡戸稲造記念センター 長として出席している。 来年(2022年)は、新渡戸稲造 生誕160周年である。 記念シンポジウム『21世紀の医療の扉を開く〜 今、ふたたび 新渡戸稲造!〜』が企画される予感がする。「もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル記4章14節)であり、すべての始まりは「人材」である。

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